カテゴリ
以前の記事
2014年 11月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2013年 11月 02日
すい臓がんの末期患者になってから始めたこのブログもいよいよ最終回である。
本音を言えば、せめて70歳までは、せめて子供が結婚するまでは生きていたかった。その意味では誠に残念・無念である。 しかし運命には逆らえない。あの世にもいろいろ事情があるのだろう。そう思って少しは明るい気分で逝くことにしたい。両親や祖父母、友人、すでに逝った職場の先輩なども彼岸にはたくさんいる事である。この世の報告をしてあの世のことを教えてもらおうと思う。 末期がん患者になって心配したのはウツになり人生の晩年を暗い気持ちで送ることであった。振り返ってみると幸いなことに極端なウツ症状はなく比較的穏やかな精神で生活が送れたのではないか。そう思っている。 ブログ、下手な油絵、カラオケ、食べることへの執着などの生きる目標がそれぞれ役割を果たしてくれた。もちろん家族やブログを見てくれる多くの人が精神的な支えになってくれたのも大きな要因である。と言っても平常心で淡々とした心境で最後の時を迎えたという訳でもない。常に頭の片隅に間もなく死ぬという思いがありプレッシャーとなった。何かやるたびに無力感・絶望感も漂った。 立派に生きていくのは難しいものだが、立派に死ぬのもなかなか難しいもの。 若い頃から無常観について惹かれて関心があったのも少しは悟りに役立ったかもしれない。 これまでの人生。たくさんの人のお世話になった。迷惑をかけた事もたくさんあった。それでも楽しく人生を送ることが出来たのは縁を結んだ数多くの人の好意があったからである。 本当にありがとうございました。皆様のご多幸を祈念しております。さようなら。 ![]() 訃報 父はかねて病気療養中のところ11月2日午前0時32分永眠致しました。 享年65歳でした。ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。 上記ブログは生前に故人が死去した際に送信するよう言われていたものです。 内容・文章とも未熟ながら長く当ブログをご覧いただきまして誠にありがとうございます。 なお当ブログは同じすい臓がんで苦しむ人のお役に立ちたいという故人の意思でしばらくの間はこのまま掲載させていただきます。 家族一同 ![]() ▲
by anms1024
| 2013-11-02 07:11
| 病状・治療の記録
2013年 10月 09日
在宅医療の最大のメリットは何と言っても住み慣れた
我が家で残された日々を過ごすことが出来ることである。 これは誰も同じであろう。入院していた大学病院の 地域支援スタッフの尽力もあって在宅医療を支える 医師・看護師なども地元ですんなり決まった。 予想していた以上に在宅医療の体制は進んでいた。 まさしく「案ずるより産むがやすし」であった。 退院してから打ち合わせした結果、実施計画は次のように決めた。 医師については当面は自宅から歩いて5分程度の内科クリニックに 毎週1回程度通院することになった。 もちろん病状が進めば自宅まで往診してくれる。24時間対応である。 主に受けられる治療行為は、通常の医療行為の他に 訪問看護師への指示。ホスピスなどの紹介も含まれている。 一方看護師については自宅近くの訪問看護ステーションと 当面毎週1回の訪問で契約した。こちらも24時間対応である。 そして病状が進めば回数を増やすことになる。 受けられる主なサービスは血圧・体温・脈拍の測定や病状の観察。 点滴や連携する医師との連絡。洗髪、入浴の介助などである。 費用はいずれも健康保険が適用されるので自己負担額は30%。 医師はまだ分からないが看護師は自宅訪問1回あたりで 諸雑費も入れて3000円前後の見通しである。 ところで退院してから体調が良くない。 ほとんど食事が出来ない状態なので体力の消耗は当然。 何かを食べようとすると吐き気に襲われる悪循環である。 これまで痛みがなかったのが幸いだったが、 腹部付近も痛くなってきた。 本日初めて痛み止めとしてオキシコンチンという麻薬を使用した。 ▲
by anms1024
| 2013-10-09 21:20
| 病状・治療の記録
2013年 10月 07日
退院して久しぶりに我が家に戻ってきた。
「狭いながらも楽しい我が家」である。 少しずつ元気が出てきたと言いたいが 相変わらずの食欲不振で体調は良くない それにしても入院中に大量の吐血下血があった時には驚いた。 血圧がみるみる下がり最高が70台まで下がった時は 「いよいよか・・・」と一瞬覚悟したほどだった。 家族の話では顔面など真っ白だったと言う。 それまでは何となく前途にどこか楽観的な気分も持っていたが、 病状が確実に進んでいるのを改めて実感した。 あれ以来今後は月単位でいろいろ考えたほうが良いと思っている。 あれもしたい。これもしたいと思っても 長期計画ではあまり意味がないのだ。 健康な人には少し気の早い話だがタイトルの「お正月まで」は 何としても再入院せずに自宅で正月を迎えたいという意味である。 その為にまずやるべきことは体力の回復である。 体重は現役の頃は70キロ前後あった。入院前は65キロ前後。 それが今は55キロ前後である。 もはやダイエットに成功したと喜んでいるレベルではない。 体重増加が体力回復のポイントである。 早く味覚障害を克服し食欲を取り戻したいと切に願っている。 お正月までにやりたい事はたくさんある。まず家族揃っての温泉旅行。 実は9月に予定していたのだが入院でキャンセルした経緯もある。 あまり遠くに出かける体力はないので木曽路か飛騨あたりの 温泉でヒノキ風呂の香りを楽しみたいものだ。 油絵の手直しもしておきたい。 父親からのプレゼントということで描いたものの、 見直してみると雑な箇所が相当ある。またおそらく 最後の作品となるであろう「我が家」にも挑戦したい。 これから絵の具が乾きにくい冬場に入る前に完成させたいと思っている。 大晦日の夜。紅白歌合戦を見ながら家族揃って年越しそばを食べる。 お正月は酒を飲みながらおせち料理を食べ初詣に行く。 つくづく日本人に生まれて良かったと感じる至福な時である。 やはり自宅で過ごしたいものだ。 「酒も好き餅も好きなり今朝の春」 高浜虚子 ▲
by anms1024
| 2013-10-07 18:59
| 病状・治療の記録
2013年 10月 05日
本日5日大学病院を退院した。
入院したのが先月1日だったので入院生活は 35日と予想外の長期間となった。 長引いた理由はすでに報告したように 肺炎から始まり胃小腸バイパス手術、黄疸予防の 胆管ドナレージ術、そして吐血・下血と問題が 次々と出てきてその度に対応した為である。 今回の退院にあたって大学病院側の 基本的スタンスは、 ▼治療できる・やれることは全てやった。 ▼抗がん剤治療も終了したので大学病院としての 治療は終了した。今後は地域の病院で緩和ケアを 受けるなりホスピスを探してほしいというものである。 患者の立場からすれば今後もずっと面倒みて ほしいというのが本音。 しかし多くの新しい患者が病院のベッドをあくのを 待っているのである。 先進医療・高度医療の役割をもつ大学病院の 使命という見地からは、 予想されたことでもあり納得するしかない。 初診から10か月に渡ってお世話になった○○教授。 今回の入院で執刀してくれた主治医と担当医。 そして笑顔で接してくれた看護師たち。 感謝の気持ちいっぱいで病院を後にした。 さて今後どうするか。 一般的にはこれからがん難民としてスタート。 病院からもう治療法はありませんと言われた患者は 最後まで奇跡を信じて代替療法や民間療法の 道を探ることになる。 しかし私の場合こうした治療で たとえ腫瘍が小さくなっても、 もはやあまり意味がないようだ。 また体力的にも時間的にもそんな余裕もない。 理由は▽止血剤でいま治まっている十二指腸付近と 推定される出血がいつまた起きるか分からないこと。 ▽進行がんなので浸潤された他の場所でも 新たな出血が始まる可能性があること。 ▽出血している場所を特定するのは難しく 吐血・下血を完全に治める方法はないと 説明を受けた為である。 再発すれば当面は輸血で乗り切るとしても、 献血で得られた貴重な血液である。 限界があるのは言うまでもない。 結局あれこれ迷ったが 体力の回復がまず先決。 新たな治療はひとまず断念したほうが 賢明だと判断した。 当面は在宅医療の道を選び病状が更に進んで 最終的な段階になればホスピスに行くつもりである。 残された月日が果たしてどれくらいあるのか。 誰にも分からない。 ▲
by anms1024
| 2013-10-05 16:04
| 病状・治療の記録
2013年 09月 30日
入院病棟の消灯時間は午後10時である。
個室なので他の患者に対する気兼ねはないが管理上の問題もある。 時間になると照明を落とし寝るようにしている。 深夜13階の病室に聞こえるのは救急車のサイレンの音くらい。 静粛な時間が流れる。看護師の巡回は夜中に3回程度。 患者に異常がないか。こっそり病室に入って確認していく。 ほとんど徹夜に近い激務だがどの看護師も笑顔を絶やさない。 朝も7時すぎには巡回開始。検温・血圧・点滴入れ替えと忙しい。 医師の激務は看護師以上である。入院時から日常的にお世話になっているのは 主治医と担当医の2人。いずれも外来の診察時間が始まる前の 8時過ぎには病室を覗いて病状に変化がないかどうか診てくれる。 宿直勤務明けでも休みというわけではないらしい。 土曜日・日曜日でも患者が気にかかれば病院に駆けつける。 精神的にも肉体的にも相当タフでないと勤まらないだろう。 入院するたびに感心している次第である。 朝食は8時過ぎから。病院食だからどうしても塩分控えめ。 値段も1食あたりの単価は安いのでメニューにも限界があるが 患者にとって嬉しいのはメニューが昼食と夕食は選択できることである。 普通食・学童食・全粥食・軟飯食・高齢者食と年齢や病状に合った 食事を用意してくれるのもありがたい配慮だ。病院食は美味しくないという 定説もそのうち変っていくのではないか。そう思った。 朝食が終ったころに本日のシャワーの希望時間が聞かれる。 病状でシャワーを利用できない患者には熱いタオルが配られる。 背中などは看護師が拭いてくれる。誠に恐縮であるが快適。 生き返った気分になる。病院もサービス産業かと誤解するほどの変貌ぶり。 最近では患者を○○様と呼ぶ民間病院もあるとか。 患者本位は嬉しいが、やはり程度問題のような気もした。 正午過ぎからの昼食、午後6時過ぎからの夕食まではどちらかというと フリータイムだ。点滴があるのでそう自由に歩き回る訳には行かないが 入院して一番の問題は運動不足である。特に筋力はあっという間に衰える。 出来るだけ散歩して退院後に備えるのがベスト。 入院してからほぼ1か月。今回は病室からほとんど出ていないので 不安だが、そろそろ歩かねばと焦っている。 夕食から午後10時までも自由時間。患者はテレビを見たり読書をしたり 思い思いの時間を過ごす。 この入院中に成果があがった事もある。実は吐血したあと初めて 妻・長女・長男から手紙をもらった。 本人を目の前にしてはなかなか言いにくいことも多いが 手紙はこういう時には便利なものである。 子供たちの成長や個性が手紙から伺えて嬉しかった。 それぞれの返信も兼ねて夫・父親からの手紙をこの時間を利用して 手書きで書き終えることが出来た。 退院したらそれぞれに手渡すつもりである。 家族の行く末を見届けることが出来ず夫として父親として 誠に申し訳ないがこれも運命。手紙がこれからの人生の指針 そして支えになってくれればと願ってやまない。 主治医の説明によれば退院は今週末か来週初めの予定である。 待ち遠しい。あと少しである。 ▲
by anms1024
| 2013-09-30 22:25
| 病状・治療の記録
2013年 09月 26日
どうやら当面の危機は乗り越えたようである。
体温、血圧、脈拍も大変安定してきた。本日から輸血も無くなった。 点滴も半分の量になった。 心電図の計測装置や尿管など体に巻きついていた管も徐々に取り払われて行動の制限も大幅に改善した。 担当医師の説明によると吐血下血とも収まってきて安定した状態。 ヘモグロビンの数値が改善し貧血もなくなった。スープやヨーグルトなどの摂取はOK。これから食事再開に向けて順調に回復して行くだろうと有り難い言葉もいただいた。退院もそう遠くない時期に。朗報に心が弾んだ。 それなりに準備してきたが、これまで闘病生活が割合順調だっただけにエンディングノートなど懸案事項も一部残っている。どうか1か月程度は思い残すことがないような平穏な日々を与えていただきたい。 誠に勝手ながら八百万の神にお願いした。 今回の入院では励ましのコメントをたくさんいただいた。ひとりではない。 孤独ではないということは生きる力になるものである。 本当にありがとうございました。 ▲
by anms1024
| 2013-09-26 20:37
| 病状・治療の記録
2013年 09月 25日
吐血と下血があった夜はいよいよ最後の時が来たのかなと半ば覚悟した。幸いその後は吐血はなくいまは小康状態である。しかし、動くと出血の恐れがあるため活動範囲はベッド上だけ。
命の危機はとりあえず回避されたものの、さてこれからどうなるか。患者にも医師にも分からない領域に近づいて来たようだ。 今回の入院では肺炎、十二指腸狭窄、黄疸と次々問題がおきた。 そのたびに手術などで対応しクリアしてきた。 しかし、もう少しで食事が再開出来る寸前になっての吐血はショックであった。 もう残された時間は本人が思っているより少ないかも知れない。 家族それぞれに書き残した手紙ー贈る言葉ーもまだパソコンの中である。 急いで手書きで清書しておかねばならない。 ブログの最終回も早めに準備しておいたほうが良いかも知れない。 宇宙の創造主よ。それぐらいの時間は与えて下さい。 そんなことを考えた。 残された希望はいまの出血が止血剤などで収まることである。 そうなれば病院での食事が始まり問題なければ退院も出来るだろう。 自宅に戻ってせめて1か月くらい穏やかな日々を過ごしたいものだ。 ▲
by anms1024
| 2013-09-25 18:31
| 病状・治療の記録
2013年 09月 23日
本日9月23日(月)午前2時頃、大量の吐血と下血があった。
下血については、かなり前から少量みられたが吐血ははじめてなので、非常にびっくりした。 急遽、応急処置として輸血が行われた。 担当医師の説明によると、 この出血は十二指腸潰瘍付近からの出血とみられるが特定はできない。 出血を止める方法はいくつかあるが、現在の健康状態からして手術は行うことはできない。 また、出血場所を確定することも極めて困難である。 したがって、現在の出血を止める確かな方法がないのが現状である。しばらくは止血剤を点滴投与し、様子を見守るしかない。 上記のような説明であった。 つまり、吐血と下血があるたびに輸血をするという対症療法しか残されていないということであった。 今後の展開は止血剤で出血が止まることを期待するのみである。 明日のことは分からないが、最後の奇跡を信じてみようと思う。 なお、せっかくコメントをいただいても返信は出来かねる状態なのでご容赦ください。 ▲
by anms1024
| 2013-09-23 14:03
| 病状・治療の記録
2013年 09月 21日
思わぬ長期間の入院となった。
毎日の採血とレントゲン、その他CTと検査の日々が続き 体力的にも精神的にも結構きつい。一日でも早く退院したいが、 次々に問題が発生し、すい臓がんの治療どころではないというのが現状である。 初めは肺炎の疑いであった。 これは入院3日後くらいに誤えん性肺炎ということで熱も下がり決着をした。 次に問題となったのが十二指腸狭窄。腫瘍に圧迫され十二指腸が 閉塞状態となり食べ物が通らない。これでは食事が出来なくなるので 胃と小腸をつなぐバイパス手術した。 今は傷口もかなり塞がり動いてもあまり痛みは感じなくなった。 肝心の消化機能の回復も順調で間もなく食事は再開できる見込みである。 辛い決断を迫られたのは黄疸だった。 見た目ではあまり症状が感じられないのだが、血液検査の 総ビリルビンの数値を見ると上限が1,2であるのに対し 8,3ときわめて高い。放置すると胆肝炎や肝硬変につながり 重篤になりやすいと説明された。 黄疸はすい臓がんではよく見られる症状。今年6月には胆汁の流れを よくする為に胆管にステントを入れた経緯がある。 その際に担当医からは「ステントは将来詰まる可能性が高い。 その場合は入れ替えをしなければ」といわれていた。 そこで今回入れ替えることになったのだが、十二指腸狭窄で 内視鏡が入らず入れ替えは困難という結論が出た。 次の選択肢として選ばれたのが 経皮経肝胆管ドナレージと呼ばれる手術である。 この手術は腹などに小さな穴をあけ肝臓の胆管にチューブを入れ、 胆汁を体外に排出するもの。患者は排出された胆汁をためておく バックを常に携帯しておく必要がある。日常生活を考えると 避けたい方法ではあるが医師からベストの選択と言われると仕方ない。 結局19日午後から手術を受けた。幸いこちらの方も回復は順調である。 胆汁は体外のバックに排出され黄疸も改善しつつある。 末期患者がこの程度の事で弱音を吐いてはと思うのだけど 生き抜くことはなかなか難事業であると痛感した。 自宅で療養しながら、たまには外でビールでも飲んで名残を惜しむ。 そんな日々はもう還って来ないだろうか。 ▲
by anms1024
| 2013-09-21 21:06
| 病状・治療の記録
2013年 09月 17日
手術の当日は朝から結構忙しかった。緊急ということで当日の予定に
かなり無理して追加してもらっただけに開始時間は未定。多分夕方ごろに なると思いますが、いつでも手術室に行けるよう準備しておいてくださいと いう指示であった。 午前中まずはシャワーを浴びてサッパリ。手術着に着替えて呼び出しを待つ。 リスクはほとんどありません。簡単な手術です。 と言われても手術は手術である。血圧も上昇気味。やはり緊張するものである。 今更逃げ出すわけにも行かないが、内心はハラハラドキドキであった。 午後4時呼び出しがかかった。手術室に歩いて向う。手術室前で見送りの 家族と別れる。手術室の前には執刀する医師・麻酔医・看護師などが集合。 それではという掛け声で手術室の中に入った。 狭いベッドに横たわり天井を眺める。手術室の照明が目に入ると、 最悪のケースもつい考えてしまった。 各医療スタッフの声がきびきびとして伝わってくる。プロの集団という感じ。 これなら大丈夫かと思ったりしているうちに・・・ 全身麻酔のおかげで記憶があるのはそこまでである。 気がついたのは約2時間後。「終わりましたよ」という声で我に返った。 麻酔の量をどう調整しているか分からないが、手術が終るとほぼ同じくらいに 覚醒するようになっているようだ。手術が終って病室に戻ってきたのは午後6時ごろ。 結局上腹部の10センチほどを切って胃と小腸をつないだ。 その夜は寝返りも出来ない。ただ痛みに耐えて朝が来るのを待った。 手術が成功したからといって肝心なのは術後である。 つないだ胃と小腸がうまく消化機能を果たしてくれなければ意味がない。 腸は手術後しばらく完全に機能停止状態である。医師からは腸が活動を 始めた合図ともなる「おなら」がありましたかと術後何度も聞かれた。 患者も医師もひたすら「おなら」を待つことになる。 術後3日経った頃、これまで完全沈黙だった腸がゴロゴロとなりだした。 そして待望の「おなら」も出た。超音波検査などをして水などが順調に 流れているのが確認されれば、重湯からおかゆそして普通の食事と なっていく。 今月1日入院していらい本日で17日間水とお茶だけである。 点滴だけで命をつないできた。体力は相当衰弱している。 体重も5キロ減少。病気前と比較すると10キロ減である。 免疫力の低下で細菌感染も心配。昨夜も突然39度1分まで熱が 出て慌てた。黄疸や下血の症状も少し出てきたようである。 まだまだ退院への道のりは遠いようにも感じている。 ▲
by anms1024
| 2013-09-17 20:30
| 病状・治療の記録
|
ファン申請 |
||