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2013年 03月 01日
身近な人が天国へと旅立って行った。義理の母親である。
体調の不良を訴えたのは去年の9月ごろ。 病院で診断してもらうと末期の胃がんと分かった。 手術、放射線治療もすでに手遅れ。 治療手段は抗がん剤のみであったが、 その抗がん剤も間質性肺炎の症状が出て2回の投与で中止。 食べ物が喉を通らなくなり、みるみる痩せていった。 余命は3か月程度と宣告されたが強靭な精神力で頑張る。 しかし83歳の誕生日を寸前にした先月25日に死去した。 病気には無縁な人だった。初めての入院が末期がん。 辛抱強い性格が災いして病院に行くのが遅くなってしまった。 趣味は読書で向上心旺盛な人でもあった。 一生懸命働きながら夫を支え2人の子供を育て4人の孫を残した。 いつも暖かく笑顔で迎えてくれた。冥福を祈るばかりである。 義母の看病は今年84歳になる義父と長女である女房が あたったが、 以下はキー・パーソンとして女房が感じたことである。 看病していて一番辛かったのは、最終的には治療方法がなく ただ痩せていくのを見守ることしか出来なかったことだ。 最初に入院した病院からは抗がん剤治療が中止になったため まもなく退院を促された。「もう治療がありません。他の病院を紹介しますが、 延命治療はありません」と言われる。 紹介された病院にすぐ入院出来たわけではない。 食べ物は喉を通らない。栄養補助ドリンクだけで命を繋ぐ毎日。 通院外来では2時間以上椅子に座って診察を待つことも。 朝一番に行っても病院を出るのは昼過ぎ。帰りのタクシーがつかまらず、 冬の冷たい風が吹くとふらっと倒れそうになるのを懸命に支えた。 在宅医療の道を探るため介護認定も受けた。 しかし認知症ではないため要支援1と判断された。 12月に入って胃液が逆流しないように胃と小腸の バイパス手術を受けることになり入院。 正月は一旦退院し自宅で迎えることができたが、 呼吸が不安定になり再び入院した。 延命治療はなし。したがって点滴もない。 口から入るものはゼリー状の栄養補助食品のみであった。 50キロあった体重は33キロまで減少した。 最後の1週間は喉が渇くのか水をさかんに欲しがった。 しかし思うように飲むことさえ出来ない。 本人も早く死にたいと訴えるように・・・。 ただその瞬間が来るのを待っているだけの日々が続いた。 どこの病院も入院患者で溢れている。 治療が終わった患者は一日でも早く退院してほしい。 「病院は介護施設ではありません」と言わざるを得ないほど 次の患者が入院を待っているのである。 病院を責めても仕方がない。それが国の方針だからである。 ホスピスは常に満員。N市内では1か月待ちである。 希望してもすぐに入れるものではない。 もう食べることも動くことも出来ない末期患者の最後を 在宅医療で家族が本当に看ることが出来るのか。 老老介護ではきわめて難しい。 同じがんの末期患者として義理の母親を見送った。 自分は果たして、いつ何処で、そしてどんな心境で、 死と向き合うことになるのか。先行きの見通しは全くない。 いずれにしても現実は厳しいと覚悟するほかはない。
by anms1024
| 2013-03-01 21:45
| 末期患者の気持ち
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