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2013年 01月 28日
なんとなく75歳くらいまでは健康で生きることができると思っていた。 いつか必ず訪れる死であるが、まだ先のことであると思っていた。 突然、末期がんの患者になって死は観念でなく身近なものになった。 もう10年以上も昔の話である。 かつての上司でお世話になったTさんが何の前触れもなく、 「近くに来たので寄ってみた」と言って職場に訪ねて来てくれたことがあった。 久しぶりだし、遠来のお客である。普段なら「呑みに行きましょう」となるのだが、 その日は、「他にも寄るところがある」ということで20分ほど雑談して別れた。 しばらくしてTさんの訃報が届いた。 上京して東京での葬儀に参列しながら、あの時は別れに立ち寄ってくれたのだ。 余命があとわずかということを相手に話せば、相手も受け答えに困るであろう。 そんな配慮をして何も告げることなく帰ったのだと思った。 現役時代から気配りの大切さを教えてくれた神経細やかな上司だったからだ。 Tさんらしい「死の美学」に感銘を受けた。 余命1年の宣告を受けて正直どうしようかと悩んだ。 末期がんであることを家族以外にどこまで知らせるか。 残りの人生をどう生きるか。どういう死にかたをしたら良いのか。 生きかたを問うことは死にかたを問うことであり 死にかたを問うことは生きかたを問うことでもある。 まるで禅問答のようだが、悩んで出した結論は 「末期がんであることを、むしろ積極的に明らかにし、 残された歳月は自然に粘り強く生きて行く」ということだった。 誰にも知らせることなく、ひっそりと死を迎えるのは やはり切ない気がしたからだ。 強い精神力がないととても出来そうにもない。 人に話すことで気持ちが少しは楽になり頑張ろうという気にもなる。 これまで大勢の人に世話になり、迷惑もかけて生きてきた。 最後にまた迷惑をかけることになるのは心苦しい限りだが、 浮世の縁ということで許してもらおう。 もう一つの理由は「うつ」になるのを避けたかったこともある。 末期患者の大敵は「うつ」であるからだ。 気持ちが落ち込めば免疫力は大幅に低下する。 免疫力が低下すればがんの進行が早まることになる。 人生の土壇場になって自己の能力を顧みず ブログを開設したのは、良い意味で開き直った 生きかたをしようと思ったからである。
by anms1024
| 2013-01-28 19:22
| 末期患者の気持ち
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