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2013年 10月 16日
医師の勧めもあり退院後にホスピスを見て回った。
ひとつは市の中心部、もうひとつは郊外にあった。 いずれもキリスト系の総合病院に併設されたかたちで 設置されている。 県内では歴史が古く代表的なホスピスである。玄関に入ると、 ここがもしかしたら最期の場所になるのかと厳かな気分になる。 内部はとにかく静かである。やすらかな気持ちになるが、 寂しい気持ちにもなる。 大学病院から提供されたCTや病状報告など各種データを持参した。 そして医師の面談、そのあと病室を案内してもらった。 実際初めてホスピスを訪問して意外だったのは定員が 15人から20人と想像したより小規模なことであった。 これでは順番待ちになるはずだと思ったが登録してから 1か月前後でだいたい空きがでるそうである。 いずれも終末期の患者ばかりである。 ここで過ごす期間はほとんどの人が30-40日前後とか。 利用料金は部屋の広さと設備で決められているが 外の景色が良ければ料金が高くなるところもあった。 部屋は全室個室。もちろん健康保険が適用される。 利用料金は70歳未満の場合は 6畳程度の一般個室で1か月16万円。 有料個室で38万円。 特別室になると個室の中には家族用の 和室も用意されており50万円と料金には結構幅があった。 他に雑費の支出がある。 たとえば70歳未満の人が自己負担30%で 高額医療費制度を利用した場合、 一般個室に30日間入院した際は 医療費9万円あまり 食事代が2万円あまり。機材使用料5万円あまりで あわせて16万円あまりが必要とある。 家族室もあり1日あたりで約5000円で泊まれる。 共同だが炊事場もあった。 場所は市内が良いか、郊外が良いか はその人の気持ちの問題。 家族などの負担を考えると市内の方が便利だが、 自然環境を考えると郊外の方が良い。 面会は自由だが断っても無論良い。 外出・外泊も医師の許可を取ればOK。 全体として患者優先である。 ただ入院の条件としては ▽悪性腫瘍になった患者で予後数か月と診断されていること ▽痛み・全身倦怠感・呼吸困難などが出現しており 症状の緩和が必要であること ▽治癒を目的とした抗がん剤などの治療は行わない。 ▽延命目的の心臓マッサージ・人工呼吸・輸血などは 行わないことなどが挙げられている。 登録して連絡を待つことにしたが、 さて実際に連絡があった場合、 どうするのか。在宅医療をいつまで続けるか。 一人でトイレに行くことが出来る間は自宅で 過ごしたいと思うのだが・・・。 #
by anms1024
| 2013-10-16 07:45
2013年 10月 12日
そこで発想を変えることにした。
得意の「思い込みの世界」でこの難問を解いてみることにした。 本人が理不尽と思う死にどう気持ちの折り合いをつけるかの話である。 あくまで感情の問題なので論理的でないのはある意味当然の帰結だと 思ったからである。 結論は末期患者にならなければ決して開設することはなかっただろう ブログ「どーもの休日」に求める事にした。 理由は社会的理由と個人的理由のふたつある。まず社会的理由である。 2人に1人が、がん患者になり、3人に1人が、がんで死亡すると言われる時代である。 特にすい臓がんはがんの王様と言われるくらい他のがんに 比較して5年生存率が極端に低い。 発見された時は手遅れのケースが多く治療方法も手術以外は 延命治療しか期待できない病気である。 医師からすい臓がんの宣告を受けた患者は絶望感に打ちのめされる。 そして真っ先に自分の前途がどうなるのか調べることになる。 その時一番頼りになるのが同じ患者が書いた手記・闘病記である。 医師の書いた立派な本はたくさん出版されているが一部には売れれば良い。 あるいは自分の治療方法のPRといった出版物もあり 必ずしも全幅の信頼がおけない。 その点患者が記録した手記には真実の声が闘病の現実が記載されている。 私も患者になって真っ先に取り組んだのは同じすい臓がん患者の 数々の記録を読むことだった。 そしてどんな症状が出るのか。どうやって対応しているのか。 患者の立場からの痛切な声を知ることが出来た。 そして時には勇気をもらい絶望感から救われた。 それくらい闘病記には社会的価値があると思っている。 もし宇宙を創造した神がいるとしたら私に最後の社会貢献をさせる為に 運命を変更させたと思うことにしたのである。 現在の私のブログに果たしてそれだけの価値があるのか。そう言われると辛い。 自信はないが時々は患者の家族から「ブログを読んで勇気や希望を貰った」 「いつも前向きのブログを読み励みにしている」などのありがたい コメントを頂くようになった。エキサイトブログのデータによると 最近ではスマートフォン・PCを合わせると1日に500人前後の読者が 訪問してくれている。 内容を充実させて少しでも参考になるようなものにしたい。 そう考えている。ブログのシステムことはよく分からない。 しかしすでに亡くなった人のブログが数年経過した今も 拝読出来ることを考えるとその生命は意外と長いようだ。 私は亡くなったあともエキサイトブログの中では生き続けることになる。そして少しは世の中のお役に立つことが出来る。幸せなことである。 もうひとつの個人的理由というのはこうである。 島根県の隠岐の島。古くは流人の島として 後鳥羽上皇・後醍醐天皇なども流された島である。 私の両親はこの島の出身である。私自身は大阪生まれであるが、 小学2年から中学1年まで6年間は島後にある西郷町というところで育った。 この町の図書館に郷土コーナーというのがある。 地元出身の人が書いた本やエッセー・自分史などが書棚に並んでいる。 実はこのコーナーに父親と母親の本と小冊子があるのだ。 父親の本は郷土史「隠岐流人の島」母親の小冊子は自分史「昭和に生きて」である。 私の死後このコーナーに息子である私の小冊子も仲間入りするはずである。 思いもかけぬ病気でブログを始めてもうすぐ1年。 いつまで続けることが出来るか分からないが記録として残したいと 思ったからである。 ブログは私の死後に「すい臓がん・末期患者の○○○日」として 小冊子にまとめ家族が図書館に届ける手はずになっている。 そうすれば親子3人の本や小冊子が同じ郷土コーナーに並ぶことになる。 親も喜ぶことであろう。息子としても嬉しい「ただいま」である。 すい臓がん末期患者にならなければ決して有り得なかった展開。 人生のバランスシートはプラスマイナスゼロにはならないが、 損得勘定の話ではない。 少しでも自分の死にそれなりの意味を見いだせるか。 そして気持ちを納得させるかの話である。 人は誰でも生きることに意味がある。 誰でもいつかは迎えることになる死にもそれぞれの意味と 必然が込められているように今は感じている。 そのことを信じることで人は救われるのではないか。 やっと到達した私なりの解答である。 #
by anms1024
| 2013-10-12 12:09
| 末期患者の気持ち
2013年 10月 11日
この1年間ずっと考え続けてきた
ことがある。 それは人生の晩年になってなぜすい臓がんになってしまったのか。 余命1年の末期患者になってしまったのかということである。 客観的に解説すれば簡単かもしれない。 食生活や食品添加物の問題、健康に対する過信、不規則な生活、 ストレス、タバコなど理由はいくつも挙がるに違いない。 もちろんこうした解答を否定するつもりはない。多分その通りであろう。 問題なのは何故よりによって私がこの運命のくじを引いたかである。 これも客観的に解説すれば体調管理を怠った自己責任だと言われるだろう。 いや単に運が悪かっただけかもしれない。 しかし本人としてはどうも納得行かない。 そこに何か意味を見出したいのである。 もし私を地上に送り出した宇宙の創造主・神というものが存在するとしたら あの世でその理由を問い質してみたい。そう思うほど理不尽なのである。 この難問に・解答が出そうもない問題に取り組んで1年。 ようやく解答らしきものを見つけた。あるいは論理的ではないとしても 本人がそう思うことで納得するしかない。そんな結論に至った話である。 この難問を解くためにまず取り掛かかったのはバランスシートの作成である。 すい臓がんの末期患者と運命が大きく変る中で果たして何を得たか。 そして反対に何を失ったか。その中にヒントが隠されていないだろうか。 他人からみると滑稽だと思うが本人にとっては結構真剣なテーマである。 ▼失ったものは何か。 まず老後の暮らしである。 平均余命から判断すれば10年以上の歳月を失った。 定年後の楽しみだったパリを中心としたヨーロッパのスケッチ旅行。 国内でも行ってみたい所はたくさんあった。 子供の結婚を見届けることも、もしかして抱くことが出来たかもしれない 孫の顔も見ることが出来なくなった。 長年の夢や希望は実現の一歩手前で幻のものとなった。 何ものにも代えがたい損失である。 妻と子供の将来にも大きなマイナスの影響を与えることになった。 妻も子供もまだ夫や父親を頼りにし必要としていた。 精神的にも打撃だろう。 経済的損失も無視できない。厚生年金は遺族年金に変更されて収入は 大幅にダウンすることになる。 もとよりたいした財産があるわけでもなく年金が頼りだっただけに 生活の心配もしなければならないだろう。 他にも失ったものは数多いがキリがないのでこれくらいにしておく。 ▼一方得たものは何か。毎日を大切に生きる。 きわめて密度の濃い充実した1年間が送れた。 そして人生に対して運命に対して森羅万象あらゆることに対して より深く考えるようになった。家族の絆がより深まった。 病気になってから仕事仲間や友人・知人から多くの励ましや ご支援を受け嬉しかった。 それからブログを開設したことぐらいである。 どう考えても、差し引きは大幅なマイナスである。帳尻は全くあわない。 このバランスシートのままでは本人としては納得いかない。 それが自然な人間の感情というものではないか。 末期患者となって得たもの。密度が濃い1年が送れたと言っても 失った10年の歳月には遠く及ばない。 家族の絆と言ってもこれまでも絆がなかったわけではない。 ブログの開設は確かに余命1年という診断がなければ 一生縁がなかったに違いないが、 バランスシート全体に大きな影響を与えるほどのものであろうか。 通常の思考方法ではこれ以上先に進めなかった。 #
by anms1024
| 2013-10-11 17:19
| 末期患者の気持ち
2013年 10月 09日
在宅医療の最大のメリットは何と言っても住み慣れた
我が家で残された日々を過ごすことが出来ることである。 これは誰も同じであろう。入院していた大学病院の 地域支援スタッフの尽力もあって在宅医療を支える 医師・看護師なども地元ですんなり決まった。 予想していた以上に在宅医療の体制は進んでいた。 まさしく「案ずるより産むがやすし」であった。 退院してから打ち合わせした結果、実施計画は次のように決めた。 医師については当面は自宅から歩いて5分程度の内科クリニックに 毎週1回程度通院することになった。 もちろん病状が進めば自宅まで往診してくれる。24時間対応である。 主に受けられる治療行為は、通常の医療行為の他に 訪問看護師への指示。ホスピスなどの紹介も含まれている。 一方看護師については自宅近くの訪問看護ステーションと 当面毎週1回の訪問で契約した。こちらも24時間対応である。 そして病状が進めば回数を増やすことになる。 受けられる主なサービスは血圧・体温・脈拍の測定や病状の観察。 点滴や連携する医師との連絡。洗髪、入浴の介助などである。 費用はいずれも健康保険が適用されるので自己負担額は30%。 医師はまだ分からないが看護師は自宅訪問1回あたりで 諸雑費も入れて3000円前後の見通しである。 ところで退院してから体調が良くない。 ほとんど食事が出来ない状態なので体力の消耗は当然。 何かを食べようとすると吐き気に襲われる悪循環である。 これまで痛みがなかったのが幸いだったが、 腹部付近も痛くなってきた。 本日初めて痛み止めとしてオキシコンチンという麻薬を使用した。 #
by anms1024
| 2013-10-09 21:20
| 病状・治療の記録
2013年 10月 07日
退院して久しぶりに我が家に戻ってきた。
「狭いながらも楽しい我が家」である。 少しずつ元気が出てきたと言いたいが 相変わらずの食欲不振で体調は良くない それにしても入院中に大量の吐血下血があった時には驚いた。 血圧がみるみる下がり最高が70台まで下がった時は 「いよいよか・・・」と一瞬覚悟したほどだった。 家族の話では顔面など真っ白だったと言う。 それまでは何となく前途にどこか楽観的な気分も持っていたが、 病状が確実に進んでいるのを改めて実感した。 あれ以来今後は月単位でいろいろ考えたほうが良いと思っている。 あれもしたい。これもしたいと思っても 長期計画ではあまり意味がないのだ。 健康な人には少し気の早い話だがタイトルの「お正月まで」は 何としても再入院せずに自宅で正月を迎えたいという意味である。 その為にまずやるべきことは体力の回復である。 体重は現役の頃は70キロ前後あった。入院前は65キロ前後。 それが今は55キロ前後である。 もはやダイエットに成功したと喜んでいるレベルではない。 体重増加が体力回復のポイントである。 早く味覚障害を克服し食欲を取り戻したいと切に願っている。 お正月までにやりたい事はたくさんある。まず家族揃っての温泉旅行。 実は9月に予定していたのだが入院でキャンセルした経緯もある。 あまり遠くに出かける体力はないので木曽路か飛騨あたりの 温泉でヒノキ風呂の香りを楽しみたいものだ。 油絵の手直しもしておきたい。 父親からのプレゼントということで描いたものの、 見直してみると雑な箇所が相当ある。またおそらく 最後の作品となるであろう「我が家」にも挑戦したい。 これから絵の具が乾きにくい冬場に入る前に完成させたいと思っている。 大晦日の夜。紅白歌合戦を見ながら家族揃って年越しそばを食べる。 お正月は酒を飲みながらおせち料理を食べ初詣に行く。 つくづく日本人に生まれて良かったと感じる至福な時である。 やはり自宅で過ごしたいものだ。 「酒も好き餅も好きなり今朝の春」 高浜虚子 #
by anms1024
| 2013-10-07 18:59
| 病状・治療の記録
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