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2013年 07月 01日
小説家であり詩人でもあった高見順が
食道がんの宣告を受けたのは昭和38年だった。 以後亡くなるまでの3年の間に、 病床で書き留めた詩をもとに出版されたのが 詩集「死の淵より」である。 がん患者になるとは夢にも思わなかった若き頃。 詩集を購入してペラペラとページをめくって 読んだ遠い記憶はあるが、特に感銘を受けたと いう印象はない。 しかし先日購入した近藤誠医師の著書の中に この詩集の一部が紹介されていたので 書棚から取り出して再び読んでみる気になった。 人間というものは本当に身勝手なもの。 自分自身ががん患者になって読んでみると、 同じ詩でも受ける印象はまるで違う。 作品のひとつひとつが心に響き同調するのである。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「帰る旅」 帰れるから 旅は楽しいのであり 旅の寂しさを楽しめるのも 我が家にいつか戻れるからである だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり どこにもあるコケシの店をのぞいて おみやげを探したりする この旅は自然に帰る旅である 帰るところのある旅だから 楽しくなくてはならないのだ もうじき土に戻れるのだ おみやげは買わなくていいか 埴輪や明器のような副葬品を 大地に帰る死を悲しんではいけない 肉体とともに精神も我が家へ帰れるのである ともすればとも悲しみがちだった精神も おだやかに地下で眠れるのである ときにセミの幼虫に眠りを破られても 地上のそのはかない生命を思えば許せるのである 古人は人生をうたかたのごとしと言った 川を行く舟が 描くみなわ(水泡)を 人生とみた昔の歌人もいた はかなさを彼らは悲しみながら 口に出して言う以上 同時にそれを楽しんだに違いない 私もこういう詩を書いて はかない旅を楽しみたいのである ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「黒板」 病室の窓の 白いカーテンに 午後の陽がさして 教室のようだ 中学生の時分 私の好きだった若い英語教師が 黒板消しでチョークの字を きれい消して リーダーを小脇に 午後の陽を肩先に受けて じゃ諸君と教室を出て行った ちょうどあのように 私も人生を去りたい すべてをさっと消して じゃ諸君と言って ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 当時はがんを患えばイコール死だった。 高見順はまだ五十代半ばという若さ。 やりたいこともたくさんあったに違いない。 「死の淵より」に残された60編あまりの 詩からはがんに臥した無念さと絶望、 そして諦念から覚悟、最後には希望までが 伺えるような気がした。 高見順が世を去ってから50年余り。 がん医療も格段に進歩。世間の認識も 相当変わってきたようにも思う。 しかし患者の気持ちは・・・。 変わっていないようにも思う。
by anms1024
| 2013-07-01 16:42
| 末期患者の気持ち
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